どんなに報われなくても愛してる話


SUPERNOVAという名前が呼び慣れなくて超新星と呼び続けてしまう今日頃ごろ。そんな超新星は、あまり、いやかなり報われないアイドル人生を歩んで来ていると思う。



まず、韓国でデビュー曲「Hit」のMVに莫大な費用をかけ、華々しいデビューを迎えたと思いきや大コケ。ビックリするほど売れない。


それに加えてソンモくんがヘルニアを悪化させて一緒にデビューステージに立つことが出来なかったり、音楽番組に出てもソンモくんだけ端っこで歌い、5人が踊る少し寂しい演出になったりしていた。切なすぎる。


挙げ句の果てには切ない恋心を歌った「안녕 (アンニョン。さようなら、の意味)」もあまり売れず、結果として안녕という曲で韓国の音楽シーンから안녕してしまったのである。(精一杯の自虐ネタ)



この頃日本ではBoA東方神起が先頭を切ってK-POPというジャンルを確立していた。韓国での活動がなかった超新星は事務所の先輩であるSG wanna beのコンサートに前座のような形で立たせてもらうことになった。


リーダーであるユナクさんが日本語堪能(国費の留学生として愛知大学を卒業している)だったのもあり、少しずつ日本のおばさまたちを射止めていく超新星。そうして200999日、ついに日本デビューを果たしたのである。



小さな会場からコンサートの回数を積み重ねて、2010年には初めて横アリに立った超新星。デビュー1周年のイベントではメンバーそれぞれが手紙で気持ちを語った。普段あまり泣かないソンジェくんが「僕たちを見つけてくれてありがとう」と涙を流す姿に当たり前のようにこっちも泣いた。その場にいなかったけど普通にDVDで泣いた。たぶんその場にいたら泣き崩れてた。ちなみに手紙を読むと百発百中で泣くユナクさんはもちろんこの日も泣いてた。


そしてわたしが超新星を好きになった年でもある2011年。めざましライブに呼んでもらえたり、彼ら自身が少しずつ大きくなっていった年。916日、全国ツアーMake itの東京国際フォーラムでのコンサートでリーダーのユナクさんの入隊が発表されました。


めちゃくちゃ泣きました。それはもう、びっくりするくらい泣きました。2年って長すぎませんか?でも韓国の男性には義務だから、見送らなくちゃいけない。会ったことすらない、まだファンクラブに入ってたった1週間のわたしは絶対待ち続けようと強く誓いました。


ユナクさんが1025日に入隊してから、びっくりするくらいお仕事がなくなりました。彼らの姿を見ることができるのは週に一回やっている、超新星MCをしていた超韓ON!という番組のみ。新曲も、ツアーもないまま冬が終わりました。



2014年の春、「Stupid love」という曲で約4年ぶりの韓国でのカムバックを果たしました。皮肉なもんで音楽番組では「日本で大人気」と言われ、番組に出れば日本を侮辱するようなニュアンスのことを言われて反応に困っていたりしていました。もちろんランキングも上位に入ることなく数回出演してすぐ日本に帰ってきました。


彼らは韓国で活動することをどう思っているんだろう。わたしは、嬉しいけど、嬉しくない。韓国人として韓国で韓国語の曲を披露するのは当たり前だけど、わたしたちの前だったらもっともっと大きな歓声で迎えてあげられるのに、って思ってしまう。


この後「She's Gone」という曲でもカムバックをしました。Stupid Loveもそうだけど、なんだかんだ言いつつやっぱり韓国語の曲は変に日本語にしようとすると変な感じになりますね。わたしはこの2曲に関しては韓国語版の方が好きです。掛け声も韓国語だし。



そうこうしているうちに2013年8月を迎え、ユナクさんが除隊しました。再び6人に戻った超新星は新曲「WINNER」を発売しました。未だ嘗て超新星はシングルでオリコン1位を取ったことがなく、本人たちはもちろん、わたしたちもユナクさんが帰ってきたこのシングルで1位を取らせたかった。握手会の開催もあり、10万枚を売り上げた。だけど、彼らは1位をとれなかった。


同じ日に、サザンがCD発売したからでした。初日は約8000枚差、そして次の日から差はもっと如実になる。キャリアやファン層の広さなど、火を見るより明らかな結果だけど、悔しかった。大勢の人が1枚ずつ買うサザンに対して、ひとりが複数枚買ってもわたしたちは勝てなかった。こうして過去最高の売り上げを記録したシングルでも1位をとれず、未だに1位という結果を見せてあげられることなくもうすぐデビュー9周年を迎えようとしている。無理をしてまでひとり複数枚買うのがファンだとか、そういう気持ちはないけど、どうかいつかは彼らに1位をプレゼントしたい気持ちでいっぱいです。



次の年の夏にはソンジェくんが入隊し、再び5人になった超新星。メインボーカルの不在は正直かなり痛かった。元々声量のある方ではないボーカルのユナクさんとソンモくんだけではどうしても弱い。でもこの時期にラッパー組がボーカルとして少しずつ歌うパートを増やし、結果としてグループ全体の歌唱力の向上へと繋がりました。


そしてソンジェくんの除隊を待たず、20162月、卯年生まれの弟たち4人が入隊前最後のファンミ「festival」を開催。1日目は各メンバー30分弱のソロステージ。全員が自分の持ち味を活かしながら楽しませてくれて、笑わせてくれて、魅せてくれて、最高の時間でした。くじ引きで最後になったグァンスくんが「secret base」を歌った時は泣き崩れました。ラッパー組で特別歌が上手いわけではないけど、真っ直ぐで、かっこつけなくせに実は照れ屋なグァンスくんらしい歌声が会場全体を泣かせた瞬間でした。


2日目、5人でのラストシングル「君とまた」のMV全編流して、カップリングの「bye bye」を歌う超新星。正直このカップリング曲はどうかと思う。切なくて曲としてはいいけど안녕で韓国を안녕してるのに不吉な曲名をようつけたな、前科あるのに、って思ってました。



4月からひとり、またひとりと入隊して、ユナクさんは彼ら全員を見送りました。そしてひとりでソンジェくんを迎えて、ここから約2年間はお兄ちゃんふたりによるDouble Ace(最初はお兄ちゃんズと名乗ってたのに残り数ヶ月で急にファンから名前を応募してた謎)のステージが続きました。


20182月から兵役に行っていたメンバーが少しずつ帰ってきて、4月、ついに最後のメンバー、ソンモくんが除隊しました。だけど、なんとなく、ここでおかしいなって思っていました。各メンバー別のおかえりファンミはするのに、6人のファンミをしない。なんで?ってずっと思ってた。ソンモくんのファンミは6人でやると思ってた。



そして突然知らされた「新事務所設立」。だけど、新しいホームページに、ソンモくんの写真も名前もない。愕然としました。でも、メンバーのところに「and more」という文字を見つけて、すごくほっとしました。そんなはずはない、と思ってたからきっと何か事情があるんだろう、きっとソンモくんも参加するんだろう、って。


でも、いざファンミのチケット抽選が始まったら、元事務所の方の公式からソンモくんが参加しないことが告げられました。


曲が歌えなくなるわけではないけど、超新星という名前も、ファンクラブのMilkyWayも名乗れなくなった。そしてメンバーがひとり合流しないかもしれない。こんな悲しいことがあってたまるもんか。ユナクさんの悔しそうな顔が、声が、涙が忘れられない。どうかソンモくんが合流して彼らが好きなように活動できるようになってほしい。



彼らは6人で完全体なのに、日本デビューしてから完全体である期間の方が短かった。元々そんなに若くない状態でデビューしているから仕方ないとはいえ、兵役の関係でメンバーが欠けている状態が長かった。すでに40回以上イベントに参加していても、わたしが完全体の彼らに会えたのは10回にも満たない。


決して実力がないわけでもない、努力してないわけでもない。ファンのことだって精一杯愛してくれてる。でも、なぜかいつも報われない。小さな規模のコンサートはもちろん楽しいし、彼らの魅力は自分達だけが知っていればいいと思う時だってある。


でも、アイドルである以上、きっと彼らは常に上を目指しているはず。いつからか「東京ドームに立ちたい」と口にすることがなくなった。確かに夢のような話だったし、今だってきっと東京ドームを埋めることはできないけど、目標を口に出させることすら出来ないことが悔しい。



もちろんどんな形でもこれからもファンでいるけれど、報われない時代が長かった彼らが、どうか、報われますように。





(3574字)

お互いの名前が変わってしまった話



わたしは2011720日から2018817日までの約7年間、韓国のアイドルグループ「超新星」のファンをしていました。


ファンをしていた、という過去形で書いたのには理由があります。2018818日のファンミーティング"HOME"をもって、彼らは以前所属していた事務所を契約満了を迎えて新しいSVエンターテイメントを設立し、以前までの超新星という名前を使えなくなりました。そしてファンミーティングの場で発表された彼らの新しい名前、それが「SUPERNOVA」でした。


国で초신성(チョシンソン、超新星)としてデビューしてから11年、思い入れのある名前からあまり違和感のないように新しい名前として超新星の英語訳であるSUPERNOVAを選んでくれました。


ちなみに、ファンクラブの名前もMILKYWAYからMilkyへと変わりました。元々ライブでもSNSでも彼らはわたしたちのことを「ミルキー」と呼んでいたから、それこそ違和感はないけど時々前のようにMILKYWAYと呼んでしまう彼らを見るとやっぱり少し寂しいものでした。



でも、何よりいちばん寂しかったのは舞台に5人しか立っていなかったことでした。元超新星は6人組のグループです。今回参加できなかったソンモくんは、元々グループに合流するのがいちばん遅く、除隊もいちばん遅かったのでメンバーで唯一契約満了が8月末までだったそうです。それにメンバーたちも、事務所も、そしてソンモくん本人も気がついたのがすでにチケットの抽選が終わった頃で、結果としてソンモくんが参加できないことが直前の発表になってしまったみたい。


ただ、わたしは正直ソンモくんは契約満了を迎えたら5人に必ず合流するだろう、と呑気に考えていました。


ファンミーティングではユナクさんがいちメンバーとして手紙で気持ちを語り、そのあとは現実的な問題としての現状を冷静に全てリーダーとして語ってくれました。ユナクさんは結構よく泣く人だけど、今日の涙は明らかにその意味が今までとは違いました。


何周年という記念を無事迎えられた安心感、自分が入隊するときの不安、除隊した時の待ってくれていたファンへの感謝、弟たちが一気に入隊する不安。今回の涙はきっと"リーダーとしての役割を果たしきれなかった悔しさ"だったと思います。



そのまま契約を続けるのか、5人に合流するのか、それともソロとして独立するのか、ユナクさんは何度もソンモくんの意思を尊重すると繰り返していました。もちろん、一緒にやろう、と何度も声をかけていると言ってくれていました。


てっきり当たり前のようにソンモくんは合流するものだと思っていたから、ユナクさんが何度も説得しているということ、つまりソンモくんが渋っているのか、事務所からの何かがあるのか、細かい部分はわからないけど、思ったより難しい問題なんだと気がつきました。


状を言える部分だけでもわたしたちに言ったことで、ユナクさんは自分の心の負担が半分になったと言っていました。グループの再出発としてのファンミーティングに6人で会えなかったことがリーダーとして悔しい、と歯を食いしばりながら泣いたユナクさんの重圧はわたしには到底計り知れません。


練習生のときから約13年、すでに人生の半分近くを共に過ごしてきた彼らの中には、正直わたしたちが何を言おうと揺らぐことのないものがあると思います。でもそれは彼らもわたしたちも変わらないと思いたい。6人でいたい、と6人でいてほしい、が一致していてほしい。でも、それがユナクさんの負担にはなってほしくない。



4人が入隊中、ユナクさんと共にグループを守っていた次男、グループのセンターとして、メインボーカルとして、そして最年長でありリーダーのユナクさんと横並び卯年生まれの弟たちを繋ぐソンジェくん。


グループのリーダーとして、そしてこれからは事務所の代表としてさまざまな重圧に悩まされるであろうユナクさんにソンジェくんという存在がいて良かった。4人が入隊中の2年間、2人だけでやってきた彼らはわたしが思うより逞しいお兄ちゃんなんだと思う。


でも、しんみりとした空気を和ませるように明るく振舞いながら手紙を読んで、ユナクさんが泣いたら真っ先に抱きしめに行って、トロッコに乗ればニコニコと笑顔で手を振り続ける頼もしいその存在が、Stay with meでついに泣いてしまった。あの涙の意味は何なんだろうか。ソンモくんがいないことに対する悲しみなのか、それでも集まってくれたファンの存在を見ての安心なのか。大きな目に涙を潤ませたソンジェくんに寄り添った末っ子ゴニル。誰かが弱くなったら誰かがすぐ寄り添える彼らの姿に胸が熱くなりました。



オープニングから、日本でのシングル曲をデビューから順に歌うセトリ。ダンスナンバーでは完全に音源を流して、でもそれにマイクで自分たちの生歌も重ねてる形で進みました。だから、ソンモくんの声がずっと聴こえていて、なのに、ソンモくんの姿はどこにもなくて、それがとても悲しかったです。最初の方はソンモくんのパートを埋めるように他のメンバーが歌を割り振られてそこを歌っていたけど、途中から誰もマイクを握らず、音源のソンモくんの声だけが会場に流れました。


正直、メンバーの兵役で2年間その人に会えないのを6人分経験しているので悲しいことだけど待つのには慣れているし、いない人のパートを他のメンバーが歌っているのにも多少なりとも慣れています。


でも、ソンモくんの契約満了まであと数週間、きっと何らかの形でソンモくんはわたしたちに答えを伝えてくれると思います。たった数週間だけど、どうなるかわからないこの状況はその2年間よりもっとずっと辛いです。



結局ここでもわたしは当たり前とか、永遠とか、絶対とか、そんなものが存在しないことを知ることになりました。もちろん今後のことに不安は残るけれど、名前が変わっても、彼ら自身も、彼らとわたしたちの関係が変わらないことを再確認してこれから先も応援しようという気持ちが固まりました。どうか、全員が笑顔でいられる選択が出来る世界でありますように。



(2508字)

永遠なんてないと思い知った2018年の話

ELLEGARDENのツアーファイナルに参戦した感想を書き出したら9000字を超えた卒論オタク、勢いでブログを開設してみました。各オタ活直後、必ず気持ちが溢れてメモ帳にぶわぁって書き出したりしてるのでそれを今後ここに残していこうかなぁと思っております。需要なんてもんはないので完全に自分の思い出です。

とりあえず記念すべき初投稿は今年わたしにとって衝撃的だったふたつのことについて書いてみたいと思います。

わたしの今年1年の年表を作るとしたら、大きな出来事として書かないといけないことがいくつかあります。その中のひとつが"渋谷すばるのジャニーズ退所"、そしてもうひとつがELLEGARDENの復活"。もちろん就活云々のこととか、初めてジャニ勉の番協に行ったこととか、初めてエイトのライブに行ったこと、超新星のメンバーがみんな帰ってきたこととかいろんなことが入ってくる(改めてオタ活のことしかない)。

このふたつの2大トピックのわたしの中の共通点は"永遠なんてない"と改めて実感した点にあります。

去年の春に突如としてエイト沼に飛び込んだわたし。すでに今年のツアーは遠征含めて4公演入る程のめり込みました。エイトを好きになってからまだ1年と少し。留学中からDVDをとにかく見漁って、昔の雑誌とかに載ってる彼らの言葉を読み漁って、エピソードをネットでひたすら漁って、"7人の関ジャニ∞"に永遠を感じていました。

だから、すばるくんが関ジャニ∞を辞めることがフライデーに載ったとき(理由がバラエティのノリについていくのが嫌になった、というものだったから余計に)アホやな、って思った。そんなこと有り得るわけないと思ったし、正直、すばるくんに限ってはいちばん無いとすら思った。

元気コンのオーラスで大倉くんが腸閉塞になって参加できなくて、急遽6人でステージに立ったエイト。MCでぽろぽろと涙を流すすばるくんの姿を見て関ジャニ∞を辞める選択肢を選ぶような人だとは思えなかった。

忘れもしない2018年4月15日。

午前9時半ごろに届いた、"メンバーから大事なお知らせ"という文字と11時になったら公式HPを見て欲しいということ。この1時間半、どうやって過ごしたのか、覚えてすらいない。11時になって、すばるくんの決意を読んでも、信じられない気持ちと、信じたくない気持ちでいっぱいだった。嘘だと思ったし、盛大なドッキリであってほしいと思った。東京にいる友達から電話がかかってきて、ふたりで何時間も泣いた。

"ELLEGARDEN細美武士"に12年間会えずにいるわたしは、ついに好きになった"7人の関ジャニ∞"にも会うことが叶わなかった。

すでに発表されていたこの夏のツアーだけでいいからすばるくんも参加してほしかった。すばるくんの姿を一度でいいから見たかった。あの歌声が聴きたかったし、すばるくんが名づけてくれたeighterという名前をすばるくんが叫ぶのをこの耳で聴きたかった。

今でもすばるくんへのなんで?は尽きないし、6人を応援する気持ちを固めた今でもすばるくんが好きな気持ちは変わらない。

7人で最後に歌ったLIFEで亮ちゃんが泣いて、次の日のブログで「永遠なんてない」と気がついたと書いていた。掛け持ちしていたNEWSを抜ける決断をした彼は、関ジャニ∞を抜ける決断をしたすばるくんを見送って、今の関ジャニ∞を引っ張って行ってる。

永遠がないことなんて人は誰だって知ってるし、「失ってから気がつく」なんて、ベタなことはしたくないのに、結局わたしたちは失ってからじゃないと何も気がつけないんですね。

たった1年でここまでのめり込んでしまった自分のオタク気質を恨みつつも、結局わたしはエイトを好きになったことを一度も後悔することなくこうやって今もオタクを続けています。永遠なんてないって知ってからもオタクを続けてしまうの、最早なんでかわからないけど、エイトがイッツマイソウルで「惚れたもんだから仕方ない」って歌ってて、結局はそれなんだよなぁって妙に納得した。エイトが好きだし、紛れもない丸山担だけど、ひとりひとりのことも大好きだし、今までの全てを引っ括めて関ジャニ∞っていう概念というか、枠そのものが好きなんだと思う。

そして2018年5月10日。いつか来て欲しいと願っていたその日は思ったより突然やって来て、ただ呆然とするしかなかった。実感なんて沸かないのに、ただ涙が出てきて、みんながおめでとう、って言ってくれるのがとても嬉しかった。クエストに入った時からずっと細美さんが好きだと言い続けて、エルレバンドも何個か組んでたから(A5ランク細美武士定食、とかね)わたしにエルレのイメージを持ってくれてる人がいるのはわかるけど、小中の同級生、高校の同級生も連絡をくれて、わたしってこんな長い間細美さんが好きだったんだ、って改めて思いました。

わたしがELLEGARDENを初めて聴いたのは動画のBGMに使われていた「Acropolis」だった。好きになってからはこの曲が特別メジャーな1曲というわけでもないと知る。それでも、当時のわたしにとって衝撃的なかっこよさで、気がついたらELLEGARDENで検索をしていた。アルバムを全部かりて、walkmanに入れて毎日聴いた。中古のDVDも買った。初めて見るライブDVDを見た感想は、正直「ライブハウスって怖い」だった。

この時のわたしは小学5年生だった。ライブハウスなんて行ったこともないし、ライブハウスに対するイメージは最悪だし、ライブに行こうなんて考えは少しもなかった。そうこうしているうちに、2008年9月7日を迎えて、ELLEGARDENは活動休止した。

わたしにとってELLEGARDENは活動休止している期間の方が長いし、そもそもライブに行くイメージが掴めないまま、幻のような存在となってしまった。

だから、わたしにとってELLEGARDENはむしろ"活動休止している状態"こそが永遠なんだと思ってた。

「これが最後じゃないからね」細美さんのその一言だけを頼りにしながら、先が見えない道を進む感覚。本当にゴールがあるのかもわからなかった。このまま復活しないんじゃないかって思う時もあったし、仮に復活してもあの頃の4人じゃないから、それが怖くていっそこのまま復活しなくていいって思ってた日もあった。

5月10日の発表から3ヶ月と5日。2018年8月15日、わたしの中の"永遠"が、またひとつ壊れました。「こんばんは!ELLEGARDENです!」ずっと聴きたかったその言葉がマイクを通してあの広い空間に放たれて、わたしの耳に入って、この10年間が報われました。

すばるくんが脱退を発表して崩れた永遠と、ELLEGARDENが活動再開を発表して崩れた永遠。

悲しいことなのか、嬉しいことなのか、それに関係なくこの世の中には永遠なんて存在しないことを身をもって感じました。